おでんとわたし

毎日毎日キラキラなことが起きる。
そしてワクワクしていると、あっという間に一日が経っている。

そうしてそうして、今日はもう木曜。。。
っていうか金曜日。
はやっ。

おでんおでんな日々は、まだ微妙に続いていて、
日曜日に(っていうかあれ、日曜日だったのか。信じられぬ)
恩師からメールがめちゃくちゃ久しぶりに来た。
はっきりいって、もうアドレス変わってるんじゃないかとか
思ってたから、メールの着信見たときにまずはたまげた!

しかも、おでん煮てるときに来たんだよね。

恩師とは妙におでんの思い出があって、
ああ、先生とおでん食べたなあ、なんて思い出したりもしてたから
ここのところのおでん続きはこれだったのか???
とか思っちゃったの。
おもわず返信にそのこと、まんま記してしまった。

恩師以外にもご縁のある方々と年末からおでんを共に食す機会が
何度もあって、とどめが恩師!な感じかな。

それにしても、
冷えとりの会の効果がボディーブローのように効いてきている。
あれから以前にも増して、ちゃんと冷えとりをしている。
っていうのは当然として湯たんぽも必ず。
しかも会社でも使用するようになった。
講演録も熟読中。

思うに、すんごい高いレベルで冷えとりの全体が見えている方のお話というのは
言葉の表面上はそういう高度な内容を仰っていなくても、
頭の中にはそういうすごいレベルのものがあって、口で分かり易いことを述べていても、
その見えているものがその方を通じて言葉とは別の方法で、
その方の肉体やら精神を通じてこちらに伝わってきているのかもしれないな。
とかふと思った。で、なんかきっとそうだ、って感じた。

だから、そういう方にお会いして、直接お話を伺うっていうのは
どんな分野にせよ本当に、本当に大事なのだろうな。

あと、心が冷えてる人っていうのにとても敏感になってきた。
「ああ、だからこうなるのか」
ということが以前に増して納得する機会が増えてる。
でも気にしない。
流しちゃう。
納得できるとストレスにはならない。
ただそれだけ。
そういう冷えてる方に押しつけるきはさらさら無い。
そこで調和が乱れたら、それも冷えになるから。

そういう冷えとり効果の一環かな。
手に取る著書、手に取る著書、なんでも
同じ事が述べられてる!
シンクロがすごい。
「わー!!!」って声を出してしまいたくなる衝動を
お外ではおさえるのがちょっと大変です。
家だと、「わああああ!!!」と出しちゃいます。

ああ、とりとめないなー。
このへんでおしまいにしよう。

五日坊主。

なんと気づけば、今週はブログを書いてないじゃんか。
ツイッターでぶつぶつしてたけど。。。

濃すぎて毎晩夜はバタンキューだったな。
今日は元気。
っていうか久しぶりにお酒−。
しかも二連ちゃん。
おでん、おでんの日々。
おでんってなんでこんなに美味しいの。
なかでも、とうふ、美味しすぎでしょー。
いくらでも食べられちゃう自分がこわい。
自作だと、本当に歯止めがきかず、
やばいです。

とあるメルマガを読んで、はげしく同感し、
自分のこの濃ゆすぎる一週間に思いを馳せた。

本当にきてますね。Mjd!!!

カレンさんっ!!!

ただいま私は自分自身をみつめなおしているところだけど、
その為にはあらゆる浄化が必要なことを服部みれいさんの著作から学びました。
みれいさんは、新しい自分になる。って表現されていて、その為の様々な方法を紹介されています。

SELF CLEANING BOOK―あたらしい自分になる本

SELF CLEANING BOOK―あたらしい自分になる本

で、今いろいろな方法を行っているのだけど
部屋の浄化もそのもちろん一環。浄化といっても、まだ高次元まで行けぬレベルで、
とにかくガラクタを捨てまくる方法です。
もうゴミ袋で行ったら余裕で100以上すてた!
ってそれぐらいあったわけで、まだまだ捨てられるものがたくさんある(恥)。
本なんてその十倍!!!この話も改めてすべて完了したら記そう。

てなわけで、この本をしっかりと読んだつもりになって
バンバン捨てて、片付けているつもりになっていたのだけれども、
さっき食後に近くにあったから、パラッとめくった頁にこんなことが書いてあった。
あ、本はみれいさんの著作で紹介されていたこちらです。

ガラクタ捨てれば自分が見える―風水整理術入門 (小学館文庫)

ガラクタ捨てれば自分が見える―風水整理術入門 (小学館文庫)

p.71。

 愛と恐怖は同じ空間に共存することが出来ないので、あなたが恐怖心のためにものをためこんでいる限り、そこには愛が入るこむ隙間がありません。きれいにものを取り除いたと同時に、人生に愛が注がれ始めるのです。恐怖心は本来のあなたの姿や、やるべきことを見失わせますが、「ガラクタ」のクリアリングを行うと、人生の目的がはっきりと見えてくるようになります。恐怖心は生きるエネルギーの流れを抑えようとしますが、いらないものを処分するとあなたには本来の生気が甦ってきます。
 「ガラクタ」のクリアリングによって、本来あなたのあるべき姿を取り戻す自由が手に入り、それは自分自身への最高の贈り物なのです。

ですって!!!!!

キャー!カレンさんっ。
こんなステキな箇所を読み飛ばしていたみたいです、わたしったら。
えーでもなぜ、こんな素晴らしいところをすっとばしていたのだろう?????

ま、そんな昔のことはどーでもいいや。

今読まれるべきタイミングだったのだ。ね、ね。

クリアリングで得られるものは

すごいー。
すごいー。
すごいー。

びっくりしました。

でも、納得。
すごーく納得。

さらに、クリアリングが加速するぅー。

タイミング。

ある、セミナーの告知をみたら、すでに満員。
キャンセル待ちだけでも。。と電話したら、電話中。
そのまま忘れてた。

でも、ふと気になったから、今日また電話してみた。
このまえから二週間ぐらい経ってたかな。
そしたらそのセミナーは好評だから、追加セミナーが出たそうだが、それも満席だそう。
もちろんその追加の告知はされていない。

あの時電話してたらなあ、と思いつつも、
そのセミナーの先生の講座を春から受講するので
そういうご縁なのだろうな、と、つくづく思いました。

やればやるほど。

東城百合子先生の月例会に参加してきた。
所用で途中からとなったけども、いつもいつも学ぶことがたくさん。

  病気になるほどに誤った自分の考え方を変えた人が新しい人生を開拓する。
  変えた人は病気が治る。

というのは、本当にそうだなあ、と頭じゃなくて心にひびきました。
しみじみと。今のわたしだからこそ。

わたしは7年ぐらい前に体調崩し、そのおかげで冷え取りとマクロビに出会ったのだけど、
あの時は目に見える形での取り組みにばかり熱中して、心を変えるなんてまったく
考えていなかった、というよりもそんな考え方が有ること自体知らなかったし、知っても
たぶんまったく響かなかったかも。頭で「そうですよね、わかります」とか理屈では
分かった気になったかもだけど、心には届かなかっただろうなあ。。。

というのも、その時の症状は「花粉症」だったから。
だけど、今の私は本当はもっと病んでいたものがあることを知ってる。
そう「心」自体が病んでいた。めちゃんこ。

しかしまあ、とにかく幸いにも花粉症として出てくれたおかげで
冷え取りとマクロビという自然療法に出会えたのは、ものすごい幸運だった。
この話はまたいずれ。

で、当時はそんなレベルでも、自分にはとっても新鮮な世界で、
ものすごく体調が悪かったから、やったら効果覿面で、
そのおかげで自分ではすっごくやっている気になっていて、天狗になって(苦笑)。
自分は相当意識が高い人間だ、といい気になってた。
花粉症がみるみる軽くなって、花粉症っていう目に見える症状を
これまた目に見える形で取り組んで、目に見えて治って、
わっ!ばっちりじゃん。と、早とちり。
靴下はいてない人、マクロ的な食事をしてない人を見下す。
両親の食生活にけちをつける。などなど、サイテーな事を繰り返す日々。

これ、冷え取り視点でみたら、相当冷えまくっていた。心の冷え。
心の冷えは身体の五千倍。というけど我が身をふり返ってもつくづくそう思う。
そして、今もまだまだ冷えてるねー。ただ心が冷えていることに気づけてきただけ
あの頃よりは、ささやかながらも冷えは取れてきている気がしてる。

しかし、あれがあって、いまあな健に通えているのだろうな。
あな健に出会ったのは三年前ぐらいで「これはすごい」と思いつつも
なかなかご縁ができなかった。
今はこうして料理教室に通い、月例会や勉強会にも通っている。
それほどぶっちゃけ「病んだ」ってことなんだろうし、
病んだことを受け止められるようになったんだ。良かった。良かった。

それから、東城先生は

家に神棚、仏壇を祀り、祈ること。というのは、己を折ること。
すなわち、自分を捨てること。
人に喜んでもらうことをすること。
手足を工夫して使うこと。
天にご報告が出来るような生活をすること。
何もしないでお願いばかりしても道がつかない。

私たちの身体は神経が動かしている。
心臓を動かすことも、食べて消化することも、私がやっていることではない。
神経がつまり、神様が働いて下さっているからこそ。
自分本位で生きていると、神経がつまる、つまり神様が働けなくなってしまう。
だから今の人にはノイローゼ、精神病といった神経の病気が多い、と。

さらに女性の使命について。

次の世代のお母さんも、お父さんもお母さんが生み育てる。
女性の力はそれだけすごい、女性は台所へ還れ。外で働いている場合ではない。
金がすべてになってしまってはダメ。


あああ、わたしったらどれだけ反した生き方してきたんだっ!

いつも先生ありがとうございます。
直前にけっこうバタバタしてると「今回は行けなくてもしょうがない」とか思うけど
行くといっつも、あー今日も来れて良かった〜☆☆☆
目が覚めた。また明日から気合入れ直しだ。って思うんだよね。
教室でお話を伺うときも「オッスっ!」って思うけれども
月例会でのあの、引き締まり具合はまた違うものがあるな。
鏡開きの本日。今年最初の月例会に参加できたことに感謝。
さあ、今年はもっともっと自然に帰った生き方をします。

なかなか、つぶつぶの話ができないなー(笑)。
夜はつぶつぶのイベントに参加してきたんだけども、もう寝ます。
こんな時間に起きてるの、不自然じゃないのよっ。もうっ。

青菜はいずこに。。。

青菜を1日1回は食べましょう。

と、今通っている、あなたと健康(以後、あな健)の料理教室で習って以来
意識して青菜をよく食べてます。しかも、揚げ物とか食べると無性に欲する。

で、今日も19時頃池袋のこだわり市場ISP店で青菜を買おうと思ったら、ない。
ほうれん草がちょっとあるだけ。
ほうれん草はなあ。。。と、西武のこだわり市場へ。

また、ない。
えー、なぜ?

それほど、みんな青菜を欲しているのでしょうか。
さすがに西武ではお店の方に「なんでこんなにないのですか?」と聞いちゃった。

どちらも根こそぎ、って感じだったんだよね。

なんだかよくわからないけど、ごっそりと購入した方がいたそうです。
だから、今日はよくお客さんに怒られているそうです。お気の毒。
でも、美味しいお野菜を求めて来た方々は、やっぱり目の前の別の八百屋さんの
菜っ葉では納得できないよねー。
わたしの予想では、ISPと同じ方なんじゃないのかな?
しかも、ほうれん草は(たぶん)買ってないところとかも、なんかね。

明日こそ、菜っ葉。
今日は家にある白菜で。

本日よりはじまりはじまり。

はじめまして。あかねです。
昨年の3月11日以来、いろいろな変化、いや変革がわたしの中でたくさん起こりました。
起こったのもあれば、起こしたのもあるかな。
そして今、こうしてブログをはじめようと思いました。

そんな変革の大きな一歩は、ゆみこさんが提唱する、つぶつぶに真っ正面から向き合えたこと。
ゆみこさんとの出会いは本当に幸運以外のなにものでもありません。
そしてそこから、様々な新しい出会いが人だけでなくたくさん生まれてます。


今日は満月。
満月に舞台の初日を迎えるとよいとかきいたことがあるので、
ブログはじめるのいいかなーって思ったりしてます。
だって、いろいろ体験して→舞台でいうところの稽古期間?
それをそれをこうして書く→舞台本番。

ってことかなー、なんてね。

しかも、いろいろとその稽古期間に体験したり勉強したけど、そうやってわたしの中に入れたものは、
出さないとねっ!呼吸と一緒。じゃないきゃ詰まっちゃうじゃんっ。

ということで、はじまるのです。

・・・でも、わたしったら、今日はどういうわけか、夕方まで新月だと思い込んでいたのっ!なんでー???

寝ぼけ寝ぼけのなせる業!?

金曜日の夜。
断捨離に夢中になって、気づけば朝。
土曜日は朝から用事があったので、一睡もせずおでかけ。
おかげで夕方お茶していたら、気づけば仲間の前でガラパコス旅行記という貴重な話の中
爆睡。。。その後、ひさしぶりのヘアカット。こちらもカット中に爆睡。
まあ、いとこだからいっかwというか、ヘアカット中に寝ちゃうなんて初めて。
とかなんとか、あの徹夜が尾をひいているのでしょうか。

今日ものんびり過ごしていたけど、近所でお茶しながら、
元旦にしそびれたアフォメーションしなきゃとか、ともだちから頭痛がひどかったというメールを
もらって「新月だからかな」とか返信しちゃったり、、、
で、カレンダーみて「あ、満月だった!」
って気づいて、それからそーいえば、旧暦の元旦は23日じゃん、
とか思い出したり、ここのところだってお月様みていたじゃないか、とか。
どうしてこんなこと思っていたのかしらね。

まあ、なにはともあれ、こんな感じでいろいろ体験したことだけでなく縦横無尽に書き続けてみようと思っております。

どうぞよろしくね。